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八木彩霞展
開催期間:2010年1月20日(水)~1月24日(日) ※最終日は17時まで
観覧料 :必要
昭和にかけて活躍した、松山市出身の画家「八木 彩霞(やぎ さいか)」は、旧松山藩主・久松定謨の依頼により萬翠荘の謁見の間に掲げる壁画を制作したことで知られていますが、彩霞は日本画の佳作も残しています。今回は知られざる日本画家としての一旦を紹介します。
● 萬翠荘 謁見の間に掲げられている壁画
三坂峠より道後平野・伊予十五万石を遠望したもの →
幕府の命により、伊予松山藩はのべ30万人の労力と藩財政1年分の経費を投じて一年で完成した神奈川大場の図 →
工事が始まるまでの期間限定ではございますが、この機会に是非ご来館ください。
● 八木 彩霞プロフィール
八木彩霞(1886(明治19)年~1969(昭和44)年)松山市出身。本名は熊次郎。横浜で小学校教員として勤務するかたわら、ドイツ人画家リデルスタインに師事。
1918年 | 関東連合教育会付設・資料展に出展 油彩作品5点「現代の横浜」「開港当時の横浜」「ハリス」「ペリー」「井伊大老」 |
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1920年 | 宮内省より明治天皇のご尊像の謹写のご用命を受け奉納 |
1923年 | 再び宮内省より明治天皇のご尊像の謹写を承り、明治神宮に奉納 印象派、後期印象派の研究と正岡子規の弟子・内藤鳴雪翁と哲理的文芸論の討論研究を行う |
1925年 | 横浜元街小学校退職。フランス・パリに留学 ソルボンヌ大学文学部在籍、グランショーミール美術学院で学ぶ 藤田嗣治画伯、藤原義江(テノール歌手)、石黒敬七(柔道をフランスに紹介)、蕗谷紅児等との交友を深める |
1926年 | サロン、3点入選 ゴン・アーティストの称号を取得(ソルボンヌ大学より) |
1927年 | 帰国(3月7日) |
1928年 | 東京・目黒にアトリエ完成 以降創作活動を続ける |
1969年 | 12月14日 83歳の生涯を閉じる |