2010年7月12日。萬翠荘敷地内にあった愚陀佛庵が、大雨の中、松山城からの鉄砲水による倒木で押し流され、全壊しました。
28年もの間、この萬翠荘の敷地内で松山市民はもちろん、全国の俳句ファンやお茶の会の皆様に親しまれ、また観光客の方々にも愛されてきた愚陀佛庵が喪失したというニュースは全国に衝撃を与えました。
オリジナルの愚陀佛庵は1945年 太平洋戦争の松山大空襲で焼失し、その後1982年に萬翠荘の敷地内に復元されました。
萬翠荘敷地内には愛松亭跡もあることから、この一帯を「風流の里」にしようという構想があり「俳句の町松山」のまちづくりの一環としてこの地が選ばれました。
復元された愚陀佛庵では漱石の時代と同じように全国の俳句ファンによる句会やお茶の会が開催され、また翠(みどり)豊かな癒しのスポットとして観光客の方々にも人気でした。
橋下大阪府知事(当時)も中村市長(現愛媛県知事)と楽しい時間をお過ごしになりました。
萬翠荘では10年の節目の日に「愚陀佛庵 愛惜10年記念展示」イベントを、当時を愛しみ静かに開催いたしました。